Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

ものにあたること

野球選手やテニス選手が、プレイがうまく行かなかったときに、バットやラケットを折ったり叩きつけたりする場面をみることがある。学生の頃、この行為の是非を考えさせられたことがある。私は野球少年時代、”監督に道具は大切にせよ”と教わったので、いくら錦織圭であれどもラケットを叩きつけるのはいかんと思っていた。しかし、「錦織選手の気持ちも考えましょう」とのだった。テニスをする知人に聞いた所、テニスはメンタルゲームだから、メンタルをコントロールするために、ラケットを折ることは良い場合があるよということを教えてもらったが、そういった研究は見つからなかった。なんだか腑に落ちないなにかはずっと内臓のどこかに引っかかっていた。この話題を検索した所、スマッシュ速報のアンケートでは約400回答中8割以上が”してもいいと思う”と回答していて、自分は少数派だと気付かされた。しかし、ブーイングが起こることも事実で、私同様にとても嫌な気持ちになる人も一定数いるらしいこともわかった。特にテニスの話に絞りますが、肯定派の意見を見ると、・長時間孤独なスポーツだから仕方ない・やる人が多いということは、仕方のないことかもしれない
という消極的肯定派とプロならいい他に危害が無ければいい勝てるならいいという条件付き肯定派・自分で買ったものは自分の自由・勝つためならかまわない・道具はいくらでも替えがある、気持ちが第一・観客もヒートアップするというどんどん折るべしな積極的肯定派
なるほど。いろいろの意見を見ていくと、納得できなくはない意見と、納得しかねる意見が出てきました。消極的肯定派の人の意見は納得しました。しょうがない、自然の摂理、人のさがプロならいいという意見は納得できない。プロは良くてアマはだめというのは理解できない。むしろ高くてなかなか買えないラケットなのに
折ってしまうアマチュアが存在するほうが、ラケットの値段など関係ないほど追い詰められているのだ。ということを感じ取れるかもしれない。プロのメンタル環境は過酷でアマはそうではないというのはその傾向はあるかもしれないが、プロもプロになる前はアマなのだ、プロになる前からバキバキ折っていたのならその方が話はわかる。プロにのみ許されるメンタルコントロールの方法である。という論理は納得できない。他に危害が無ければ良いという意見は、一部理解できるが、倫理的に肯定しているといえる。勝てるならいいという意見はラケットを折ったおかげで勝てたかどうかの因果関係の調査があるか知りたいところですが、私の意見はそれで勝てるとしてもやらない方がいいという感じです。功利主義には因子の質を再考する必要があります。反則のペナルティは受けているから良いとか、ペナルティを受けるならどんどん反則するべしという態度は、サッカーでいえばイエローでもレッドでも、勝つためならOKという感じに近いと思います。試合に直接干渉するという決定的な違いはありますが、反則と勝利に対する態度は似ていると思います。私の意見は、ペナルティを受けるとしてもやらない方がいいという感じです。究極的には、刑を受けるなら犯罪可に近い気がします。法学的にはその通りという空耳がします。私にとってはその行為が試合に勝つためという理由なら反対です。メシが食えないから盗むのはしょうがないですが、会社の利益のために知識の乏しい搾取するPCデポのような行為は肯定できない。ラケットを折ったらペナルティというルールがなかったとしても私は折るべきでないと思います。嫌なら見るなという意見はもっともですが、見ていない所なら折っていいとも思いません。教育上良くないからという意見もありますが、小さい子の教育のためのテニスの試合というわけでもないですので、私の本質的な反対理由とは異なります。気になったところが、日本人は、自分の身を守る刀を折っては戦いにならないという精神があり、外国人は、役に立たない道具なんてへし折ってしまえという精神がある。という考え方がありました。なるほどこれに関しては、役に立たない道具は捨ててしまうことにも少しは理解できます断捨離です。もし本当に役に立たないのであれば。ですが。その態度がメリー号じゃこの先旅できない、ここで別れよう   なのか、メリー号なんて役立たず、捨ててしまえ       なのか、ラケットを叩きつけようとして思いとどまってラケットにキスするような選手を応援したい。というコメントを見つけて、なるほどこれだ。真剣勝負でカッとなることはあります。過酷な状況ほど、心をうつすのかもしれません。そんな時でも道具を愛せるような選手を応援したいのです。加えて言えば、良くない行為について、人格は区別して考えるべきであるとそれを良しと考えている人格は否定しますが、それを悪しとわかっているがやってしまう行為について、その行為は良くないですが、その人格はもちろん否定できません。ラケットを折るのが良しと思ってやる人格は否定します。ラケットを折るのが悪しとわかっててもやってしまうその行為は良くないですが、悪いとわかっている人格はもちろん否定できません。更いえば、それは天然ものであって欲しい。ラケットを折ったほうが試合には勝てる。けど折ったら評判が下がるから、やっぱり折らないでおこう。とかそういう計算をしているくらいならいっそカッとなって折ってしまうほうが気持ちいいです。逆に、ラケットを折るのは倫理的に良くないけどパフォーマンスしたほうが観客は盛り上がるのだろう。とかこんな計算をして折るのはちょっと、心根が良いことが一番ですが、どこかに、良くない部分があるのは仕方なきです。仕方ないものは仕方ないのですが、現状は途上と考えて、少しずつ良くしていけるよう努めたいと思う次第です。