見えるものと見えないもの

美と心

 

美術とは心を映す鏡とはよく言われることであるが、

果たして美から作者の心を読み取ることはできるのか、

 

文学作品でも美術品でも建築物でも、

作者理解のためには、まず時代背景・作者の環境を探る必要がある、

と言われるが、

 

「これはどう受け取られようと構わない、

 その受け取り方も含めて作品なのだ」

 

というタイプのものもあるだろう。

「作者の気持ちを考えよう」という問はタブー視されている

 

情操教育とは、そのこころ自体を教育することが目的だが、

直接的にこころをいじることはできないから、

美術品を使ったり、音楽を使ったり、言葉を使ったりする。

 

よくわからないものの美しさ、

字面からか、造形からか、色彩からか、音色からか

なんらか感じ取れる不思議さのようなもの、

 

それ自体にももちろん十分な価値はあるだろう。

 

しかし

雰囲気を越えて、伝わるべき心を欠かしてはならない。

 

実のところ、

表現するまでもなく、まさに雰囲気として流出するものなのだ。

 

感じる力でも、表す力でもない、

研ぎ澄ますのは、行いそのものであると。