わかるとはどういうことか

「わかるってどういうこと」

という疑問をもらった。

 

知るかわかるとかできるとか、

微妙に似ている言葉もある

 

 

分かるって言うことはどういうことなのかを

考えるときに、必要不可欠なのが他者の存在のように思う

 

わかった、理解した、コナンくんのキューンと糸が通るあのエフェクト

のようなものを感じた時、それをわかったと自分だけで感じることはできるかも知れない

 

しかし、他者と会話をしている中で、話が噛み合わない時もある。

それをわかったかわかってないかを察知したかどうかでも

わかったかわかってないか変わってくるが、

自分一人でわかったと思った瞬間があったとして、

それを他者と会話してみると実際には分かっていなかったということがあるかもしれない。

 

とはいっても、誰にも理解されなくても、自分の中ではわかってる

ということが少なからず存在するように思う。

暗黙知的なことを表現するときに、バスケを持ち出したくなる。

左手は添えるだけ、とかいいつつも、

本当に添えるだけなら左手はいらないはずで、

添えつつボールに対して何らかの仕事をしているのであれば、

その力は何ニュートンなのか、

というあたりまで突き詰めていかないと、

 

左手は添えるだけ

という概念を理解しているとは言えないように思う、

しかも実は人それぞれちょっと違うかもしれない。

 

というのを、ヒトと違うからそれは分かったではないということではなくて、

それは、自分の中の違う時間軸での感覚と比較して、

これがが丁度よいというのを、研ぎ澄ますうちに、分かる

 

という瞬間が来るようにも思う。

 

 

 

はじめに他者が必要と述べたが、

相手がいない場合では、時間軸を交えての比較対象としての自分が必要である

と言える。

 

 

他者という言葉を使わないことにすると、

 

共通の認識をする。

という感じだろうか。

 

認識する。というのも、適当な言葉だが、

 

何かを知覚し、記憶にとどめ、他の知覚や記憶と比較し、

差異や類似点を見つけて、その他の知覚や記憶との輪郭を露わにすること。

 

という感じだろうか。

 

 

そんな疑問をもらった時に、

相手にどう返したかは正確には覚えていない

 

わかるがどういうことなのかわからないのに、

他人がわかったかどうかを判断することはできない。

 

そう思って頭から離れない