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語感のしっくりくるしっくりこないの違いはなんなのか

「まさお」っぽい顔してるから「まさお」とあだ名のついた友達がいる。

今では本人の名前が忘れられてしまうくらいに浸透している。

ところで「まさお」っぽい顔ってなんなのか

人生の中ですでに「まさお」という人物に会っているのであれば、
その人なりの「まさお」っぽさというのが形成されていて、
その人物と重なる部分を感じたなら、「まさおっぽい」というしっくりくる感を感じてもなんら不思議ではないけど、

「まさお」という人物にあっていないにもかかわらず、

その人が「まさおっぽい」という感覚がしっくりくるのはなぜなのか。

 

「まさお」という音から漢字を連想して、そこからイメージをふくらませることもできる。正雄、政男、昌夫、真佐夫、、、全国のまさおさん、勝手に名前お借りしてます。

しかし、「まさおっぽいかどうか」を一瞬で判断する際に、一々漢字に当てはめて考えているかといえば、おそらく殆どの人がNOというはず。Masaoという音自体にそれぞれの人が無意識に抱いているイメージがあるのかもしれない。

 

スピッツの「ロビンソン」という有名な曲がある。

曲名の由来はご存知だろうか。

Wikipediaによれば、タイでみた百貨店の名前だそうだ。

そして曲の歌詞とは何ら関係ないそうだ。

 

しかし殆どの人が、由来に疑問を持つことさえあれ、

語感にそれほどの違和感を感じていないのではなかろうか。

適当につけたはずなのに、ロビンソンはロビンソンっぽい。

ちなみにその百貨店はロビンソンという姓から来ているらしい。

 

しかしもって、ロビンソンがロビンソンぽいというのは、

ロビンソンというタイトルでもって、その曲を公開していたからであって、

その曲を聞いた時に「ああ、これがロビンソンか」と

ロビンソンを聞いたことによって「ロビンソン」っぽさを刷り込まれた可能性もあるのではないか。

 

さきの、まさおについても、あらかじめ「まさおっぽいとはどういうことか」

を無意識的にもっていたわけではなくて、

まさお(仮名)を見てたまたま「まさお」という名詞を思いついて、

まさお(仮名)を「まさお」と命名してみようという心の反応が起きて、

あとから、「ああ、まさおはまさおっぽいな」という感覚が芽生えて、

「まさおはまさおっぽいからまさおと命名したのだ」という理由付けがあとからついてくるものなのではないか。

と考えられなくもない。

 

 

タイトルとは離れてしまったが、

実際のしっくりくるかしっくりこないかのジャッジよりも、

まさお(仮名)を見て不意に湧いてきた「まさお」という単語に

「まさお」という語感にはまさお(仮名)が纏っている雰囲気を表現するに足ることにしよう。

という逆転の回路があるように思えてならない。

 

しかも、この感覚は、この他のあらゆるジャッジにも共通する。

お腹すいたなー 食べよう ではなくて

食べよう 今はお腹が空いてることにしよう

 

眠いなー 会社行きたくないなー ではなくて

会社行きたくない 今は特別に眠いからということにしよう

 

まさおっぽいなー まさおといえばこんな感じ ではなくて

まさおといえばこんな感じ まさおっぽいことにしよう

 

ロビンソンっぽいなー ロビンソンといえばこれ じゃなくて

ロビンソンといえばこれ ロビンソンっぽいなー

 

帰納的じゃなくて、演繹的に○○という事象について

理由をつけている気がする。

 

 

とは言ったものの、

この記事自体も、

○○っぽい気がする やっぱり○○っぽい

というよりも、

○○っぽいことにしよう 理由探したろー

という流れで書いている。

 

実際には、オノマトペを研究してる人もいるので、

語感自体にしっくりくるしっくりこないというのも

人あるいはそれぞれの国の人に共通しているものもある

という部分もあるでしょう。

 

一方で、予め自身で結果を決めてしまって

その理由探しをしているのに、

理由があるからその結果が現れるように解釈してしまっているような

思考のメカニズムも存在するように思います。

 

でもやっぱりやっぱり

山本リンダを知らなくても、THE BLUE HEARTSリンダリンダ

リンダリンダ感はやっぱりリンダリンダっぽいって感じがします。