疑問はどうして生まれるのか

 

疑問が浮かんだ

 

「疑問はどうして生まれるものなのか?」

という疑問だ。

 

 

幼稚園児くらいの時期に、

質問期というものがあるそうだ。

パパに「どうして?」と聞くと

それはね○○だからだよ と答えてくくれる。さらに

「どうして?」と聞くと

それはね○○だからだよ

・・・どうして? ーうーんどうしてもだよ

 

と、お父さんが困るまで続けることができる。

この時期は、「どうして」という言葉の使い方を試しているのだ。

 

と、児童心理の人は言うそうだ。

 

「どうして」という言葉の使い方を知るやいなや

その聞いている相手を困らせるまで使い続けて、

「どうやら相手は困っているみたいだ」ということに気づく

 

目の前に「わからないもの」があって、

それに興味を感じた時、疑問は生まれるのではないか。 と思う。

 

こどもはわからないことを周りの人に聞いてみる。

すると、答えが返ってくる。

 

時に、「そんなことも知らないのか」と言われる。

 

聞くは一時の・・と言うが、

 

どうやら、何かを知っていることと、それを誰かが知らないことに対して、

人は優越感のようなものを感じるらしい。

あるいわ、誰かが知っていることを自分が知らないことに、

劣等感のようなものを感じるのかもしれない。

 

自分の知っていること、知らないこと、人の知っていること、知らないこと

にたくさん触れるうちに、「知ったかぶり」を覚える。

 

新聞を読む時も、ニュースを見る時も、人と会話をするときも、

100%内容を理解しているはずがなく、

何か知らないことを補完しながら進めて行きますが、

 

そこで建てた予想が、当たっているか外れているか、

確認しないまま進んでいくことに慣れると、

 

疑問が生まれなくなる。

 

 

生きる力ダー

問題解決能力ダー

 

などと言いますが、

問題を発見することこそ大きな意味がある

と誰かが言っていた。

 

何らかの疑問を持つこと、

そのためには、当人が対象について、

①興味をもつこと

②知ったかぶりをしないこと

 

の条件がそろう必要がある。

 

ように思う

 

 

 

 

 

ところで、人が興味をもつのはなぜなのか、

 

疑問は尽きない